takasanの骨髄腫ブログ

平成26年39歳にて、多発性骨髄腫と言ういやーな癌になってしまった、子供4人のパパさんの闘病記

振り返り

あ、順序がおかしくなってしまった(笑)

三年前の12月長引く腰痛に悩まされながら、仕事を続け何とか年を越す。
大晦日は外来当直でした、、、、ショボーン

まあ、その日は救急車も来なくて、患者もポツリポツリだったので良かったニヤリ

年を明け、腰痛が悪化、、、、ガーン
立っているのもしんどいので、師長に休めーと強制的に自宅療養、、、、

その間、整形外科に通うも圧迫骨折ですね、痛み止めとリハビリで経過を見ましょう。は?何でこの歳で圧迫骨折?転倒もしてないよ?ってな感じでした。滝汗

それでも約二ヶ月近く自宅で安静にしていたが、痛みは酷くなり、ベッドから起きるのも一苦労、、、、
トイレ、食事もままならず、同僚に電話し、点滴を処方してもらい、自宅で自力点滴。
いよいよ、動けずトイレに行くと劇痛ゲロー

声も出せず、嫁のレスキュー到着。
初の救急車救急車
まさか自分が運ばれるとは(笑)
職場のDrに、あー明日専門の病院に運ぶから(笑)って、転院説明。
この時点で腎機能MAXに悪いガーン
クレアチニン14.0超えてました滝汗
あれよあれよと緊急入院、マルク、検査フルコース。
伝えられた病名は「多発性骨髄腫」真顔ポーン
てな感じで頭真っ白、、、、
続けて、淡々と恐らく三日保たないかも知れません。
え?今なんと?ポーン
淡々と死刑宣告?チーン
そこからは、酷い吐き気と、肺炎、意識朦朧、子供の面会も覚えてない程にえーん

てな具合で厄介な闘病の幕開けですムキー